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今、世界各国から注目を集めている一人のアーティストがいる。その名もキム・ジョンギ(金政基、
Kim Jung Gi)さん。下描きを一切行わず、ひとつのパーツから描きはじめ、次々に描き連ね、壮大な世界観をぺんてる筆一本で生み出していく。さながら「現代版の絵巻物」のようである。その制作工程をYouTubeに公開し多くの人たちを魅了し続けている。20176月に新宿 紀伊國屋書店でのサイン会をはじめ様々なイベントに参加するため来日されたキムさんにインタビューをさせて頂いた。前編では、プロのアーティストになるまでの紆余曲折ストーリー、後編では独自の創作スタイルについてお話しを伺った。

キム・ジョンギさんの凄さがよくわかるライブ・ドローイング動画
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6月に東京新宿の紀伊國屋書店で開催されたサイン会。たくさん詰めかけたファンの一人一人に丁寧にドローイングされていた。

■ 漫画家になることを夢見ていた少年時代

キムさんは現在、TVCMや映画の絵コンテ、マンガ、ゲームキャラクター、オリジナルフィギュア、そして世界各国で行うライブドローイングなど、活動のフィールドは多岐にわたっている。物心ついた頃から、絵を描いていたというキムさん。家族や回りに絵を描く人はいなかったが、見よう見まねで絵を描いていたという少年時代。持って生まれた才能なのか、幼稚園の時にすでに立体でヒトやモノを描くことができていたという。その頃の夢は、マンガ家になることだった。
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「4〜5歳の時、親から子供用のスケッチブックを買ってもらいました。表紙には日本のアニメ“ドクタースランプ
”のイラストが載っていました。その中でとても印象的なものがあったんです。なぜか魚がスキューバダイビングのタンクを背負ってゴーグルをかけて空を飛んでいるという変わったイラストでした。それがとっても好きで、何度も何度も描き続けていました。」170605_08
「子供心に、大人になったらこうした絵を描く仕事をしたいと思いました。それはどんな仕事なのだろうか、親に聞くと“漫画家”だと教えてくれたんです。ならば、漫画家になろうと決心しました。」

漫画に限らず、とにかく描くことが大好きだったというキム少年。自転車に興味があると自転車ばかりを描き続け、興味の対象がスニーカーに変われば、それを描くという日々だった。小学校の成績表では、キムさんいわく勉強はあまりできなかったというが、絵だけはずば抜けて上手く、どの先生からもその道に進むべきと言われるほどだった。
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その得意分野を追求すべく美術大学に進んだ。しかし、3年生の時にやめてしまった。子供の頃からの夢である、漫画家にすぐにでもなりたかったからだ。大学をやめたキムさんは、プロの漫画家アシスタントとして働き出す。そこで、キムさんはすぐさま頭角を現してしまう。一般的に漫画家のアシスタントは、はじめは背景やベタ塗りという工程からはじめる。いわゆる下積み期間である。キムさんの絵の上手さは群を抜いていたので、下積み期間はすぐに終了。年上アシスタントを差し置いて、あっという間に絵を描く担当に就いた。

確かな手応えを感じたキムさんは、そのアシスタントを8ヶ月ほどで辞め、満を持して漫画家デビューへの道へと進んでいくことにした。

ソウルの出版社に自分の絵を売り込みにいったのだ。
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■ はじめての挫折

自分の絵を出版社に見せれば、すぐに漫画家としてのキャリアはスタートするだろうと思い込んでいた。しかし、現実はそう甘くなかった。11社も出版社を回ったが、結局全てから断られてしまった。しかも、その11社全て断る時のコメントが同じ言葉だった。

「これは漫画の絵ではない。スタイルが少し違う」

これにはさすがのキムさんもこたえた。すっかり自信をなくしてしまい、1ヶ月間全く絵が描けなくなってしまったという。子供の頃から絵を描くことが大好きだったので、描くことができないなんて、キムさんのそれまでの人生でも初めてのことだった。まるで自分を全否定されたような感じだったのだろう。このままでは夢である漫画家になれなくなってしまう。出版社の求めるスタイルに変えるべきか、それとも今のままの自分を貫くべきか、日々悩み続けた。最終的に出した結論は、自分のスタイルを貫き通すことだった。
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新しく描いた作品を加え、1年後に再び出版社に売り込みをかけてみると、今度は一転してキムさんの作品は受け入れられた。折しも、韓国の漫画トレンドが激しく移り変わりはじめている時期だった。わずか1年という短い期間だったが、1年前はキムさんのスタイルが受け入れられる時代ではなかったのだ。デビュー作「Funny Funny」は韓国の画雑誌「ヤング チェンプ」で8ヶ月間連載された。長年の夢がかない漫画家としてのキャリアがスタートした。

■ 世界で一躍その名が知られることになった動画

 

キムさんの活動フィールドの中でも、世界中にその名をとどろかせたライブ・ドローイング。そのきっかけとなったのが、2011年、ソウル近郊で開催された「マンガフェス」だった。主催者からの招待アーティストに選ばれ、会場にキムさんの専用ブースを設けてもらえることになった。他のアーティストが自分の作品を展示していく中、同じことをやっても面白くないと考え、違うプレゼンテーションを行った。ブースの壁3面に真っ白な紙を貼り、会期中4日間ずっとそこに絵を描き続けたのだ。その模様をYouTubeでアップすると、瞬く間に拡散されキムさんのライブドローイングは世界中に知れ渡ることになった。
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取材中、キムさんは愛用のぺんてる筆でずっと何かを描かれていた。取材後に見せてもらうと、それは取材中の様子だった。
後頭部に目があるのがキムさん。取材に答えながら、しかも短時間でこの完成度とは驚きだ。作品の完成版は後編で!
土橋が注目したポイント
  • キムさんのアーティストとしての分岐点は出版社に断れ続け、自分のスタイルを変えるか否かを判断した時だったと思う。時代の波に乗るではなく、自分の個性を大切にし自分の波が来るのをじっと待つという道を選んだ。それにより、その後漫画というフィールドに収まらない幅広い成功が待っていたのだと思う。 
続きは後編へ。

プロフィール
Kim Jung Gi(金政基 / キム・ジョンギ)
1975年韓国生まれ。東義大学の美術学科で美術とデザインの修士を取得。2002年「ヤングチェンプ」誌でデビュー作「Funny Funny」を発表。現在はライブ・ドローイングを中心に世界各国で活動している。ソウルに創立した美術学校を運営し、自らも教鞭をとっている。
 
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