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東京メトロ丸ノ内線地下鉄四谷三丁目駅を降り、地上に出ると四谷の大通りに行き交うたくさんの自動車、歩道を忙しそうに歩く人たちがいる。その大通りを四谷方面に少しばかり進み路地に入る。そこは大通りの喧噪から一転して落ちついた雰囲気。ここ新宿荒木町はその昔、花街として栄え、今はいくつもの個性的な飲食店が建ち並んでいる。

この荒木町で「流し」として活動をしているちえさん。五弦三味線“五色線”をつま弾きながら歌い、そして筆ペンを使いお客さんの似顔絵を描くという独自のスタイルを貫いている。自らを「流し・歌う漫画家」と名乗る。実は流しと似顔絵を組み合わせて行っているのは流し界隈でも、ちえさんの他にいないという。流しという仕事、そして筆ペンを使った似顔絵制作についてお話を伺った。

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取材場所はちえさんが日頃から活動されているという「味どころ はしもと」さん

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この荒木町で流しをされているのは、今やちえさんお一人となっている。

もともとは漫画家を目指して

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「もの心ついた時から絵を描いていました。歌も好きで歌いながら絵を描いていましたので、考えてみるとこの頃からすでに同じことをしていたんですね」そう楽しそうに語るちえさん。

小学校に通いはじめ、漫画を読むようになった。まわりの友達は「りぼん」など女の子向け漫画に夢中になっていたが、ちえさんにはピンとくるものがなかった。興味をそそられたのは手塚治虫の「ブッダ」。人間の不条理を描いた世界観にグイグイと引き込まれていったという。この頃からまわりに流されずに我が道をひたひたと歩む個性的な一面はすでに芽ばえ始めていたようだ。

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すっかり漫画に魅せられ、将来は漫画家になろうと決意する。独学で漫画を描き始め、10代後半には、いくつかの漫画賞の佳作に入選するなど手応えを感じたというちえさん。独学ではなくより本格的に漫画に取り組みたいと大好きだった漫画原作者、小池一夫先生の「小池一夫塾」に入る。そこでは絵の技術より脚本・ストーリーの組み立て方をみっちりとしごかれたという。自分の描きたいものを描くより、読者や編集者から求められるものを期日通りに描くという漫画の基本を毎週毎週繰り返すという日々だった。塾を修了した頃には漫画が好きだったちえさんもさすがに表現することにほとほと疲れ果ててしまったそうだ。売れるもの、求められるものを描くのは少々疲れた、もっと自由に自分の好きなことを表現したい!そう考えて地元名古屋の芸大へと進むことを決めた。そこでのカリキュラムは、表現に疲れ果てていたちえさんにぴったりな内容だった。絵はもちろんのこと、陶芸、彫金、立体制作など、あらゆるアートを学べるものだった。

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その後、名古屋で漫画連載のオファーがあり3年間の連載を続けることになった。ここにちえさん念願の漫画家デビューは実現した訳だ。そして、順風満帆な漫画家人生は続いていくかに思われた。

流しの師匠との出会い

連載を終え、より本格的な活躍の場を求めて名古屋から上京。同じ志を持つ漫画家仲間と共に刺激のある東京の生活はスタートしていった。しかし、現実は厳しく漫画だけで食べていくのは難しかった。漫画に携わる仕事ということで、漫画を使ったプロモーションなどを企画する広告会社で働きはじめるも、自ら漫画を描くのではなく、ちえさんに任されたのは他の漫画家を出版社や企業に売り込むというものだった。ただ、その仕事を通じ様々な人たちと出会う機会は増えていった。

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そうした中でちえさんが憧れていた漫画家、東陽片岡先生と知り合い、よく飲みに連れて行ってもらうようになっていた。東陽片岡さんはちえさんのある個性的な一面に注目する。それは、ちえさんが昭和歌謡に夢中だったことだ。きっかけは、小さい頃偶然テレビで美空ひばりさんの子供時代の歌っている映像を見てすっかり魅せられたことだった。昭和歌謡の初期から入り、後期も含めて幅広い昭和の歌をちえさんは吸収していった。私土橋は昭和生まれながら、ちえさんの口から次から次へと飛び出す昭和歌謡の歌手や曲名が半分くらいしか分からなかった。しかし、ちえさんご自身は昭和歌謡をリアルタイムでは知らない世代。ちえさんの歌の好みは漫画同様、こちらも個性的なものだった。

そんなに昭和歌謡が好きならと東陽先生に連れて行ってもらったのが新宿の荒木町だった。そこで、その後のちえさんの人生を大きく影響を与える人物と出会う。それが芸歴60年日本最長老ギター流し“新太郎師匠”だった。

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新太郎師匠は2017年8月に他界。75年の人生に幕を閉じた。(写真はちえさんのFacebookより)

「映画で流しという職業の方を見たことはありましたが、今の時代にも活動していたのかと、まるでシーラカンスでも見ているような衝撃でした(笑)」と当時を振り返る。

東陽先生からあなたは漫画を描くより師匠の元について流しという表舞台に立った方が合っていると強く勧められたという。師匠の弟子になるよう取りはからってくれた。こうして、ちえさんの流し人生がはじまった。今から7年前の2012年のことである。

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土橋が注目したポイント

漫画家を目指し、プロの漫画塾に通いひたすらアウトプットを続けていたちえさん。印象的だったのは「表現に疲れた」という言葉。たとえ大好きな漫画であってもアウトプット過多で距離を持ちたくなる心境だったのだろう。その後の芸大での学びがちえさんにとって、それまでにないインプットになったのだと思う。カラカラに乾いたスポンジが水をグイグイ吸収するような状態だったのではと想像する。改めてインプットとアウトプットのバランスの大切さを痛感した。それにしても人生、なにがきっかけになるか分からないものだ。

プロフィール

ちえ
歌う漫画家。
2012年7月より、芸歴60年日本最長老ギター流し新太郎師匠に弟子入り。歌う漫画家として、四谷三丁目荒木町にて、五弦三味線“五色線”を抱えて演歌歌謡曲を歌い、お客様の似顔絵を描いて、軒から軒へ流し歩いている。

ちえさんが荒木町で活動されているお店はFacebookで確認できる。
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後編では、ちえさんの流しと筆ペンを使った似顔絵パフォーマンスについてお届けします。

【取材協力】

味どころ「はしもと」
新宿区舟町3杉大門通り
TEL.03-3353-5780

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