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南波六太と南波日々人の兄弟を中心に宇宙という壮大なスケールの中で描かれるヒューマンストーリー「宇宙兄弟」。その作者である小山宙哉さんの仕事場にお伺いし、色々なお話を聞いた。前編ではマンガ家になるまで、そして「宇宙兄弟」のストーリーについてお聞きしてきた。後編ではマンガ制作に使用している文具を中心にしたツールについて深掘りしていく。

まるでコックピットのようなデスク

小山さんが「宇宙兄弟」を作成しているデスク。
L字型したこのデスクは特別に誂えたものだという。

小山さんのデスクは、まるでコックピットのようだ。自然な姿勢で描けるよう斜めに角度を付けた原稿台がデスクの中心に据えられ、その回りにはMacが右上に固定され、デスクの奥にはいくつもの木製ペン立てがズラリと並び、種類ごとに分けられたペンが気持ちよさそうに収まっている。デスクの右側の広々としたスペースには単行本の表紙を描くための絵の具や絵筆が整然と並んでいる。マンガを描くときは正面を向き、パソコン仕事はやや右、そして絵筆を持つ作業は右側と、作業の種類によって体の向きを変えるだけで瞬時にそれぞれの作業が行えるようになっている。まさにコックピットそのものだ。そして、ペンの多さにも驚かされる。ペンのひとつひとつを見ていくと、小山さんのペンへのこだわりがひしひしと伝わってくる。

前方には、様々なペンが入ったペンスタンドが並んでいる

様々な芯径のシャープペンを使い分けていた小山さん

実は、うれしいことに私土橋の文具ウェブマガジン「pen-info」を小山さんはかねてより読んでくださっていたのだという。同じ文具好きの血が流れているのを私は強く強く感じた。

小山さんの創作スタイル

現在「宇宙兄弟」の制作現場ではアナログでの作業からデジタルに移行しているという。当初はアナログ文具だけで描いていたが、中盤から徐々にアナログとデジタル併用になり、最新の37巻ではほぼ完全にデジタルでの作業で作られていったという。

「デジタルの良さは、とにかく便利なことです」そう小山さんは言い切る。

たとえば、マンガの背景には「スクリーントーン」と呼ばれるアミカケされた半透明シールのようなものが使われている。「宇宙兄弟」のほとんどのページの背景やキャラクターの服地などに多用されていた。これまでのアナログ作業では、その「スクリーントーン」をカッターで切ってその都度原稿に貼り付けなくてはならなかった。それだけでも手間のかかる作業だが、「削り」という作業もたまにある。これは「スクリーントーン」の端を段々薄くしてグラデーションのようにする加工だ。カッターで物理的に「スクリーントーン」を削っていく必要がある。こうした手間暇かかる作業がデジタルでは位置を選択してトーンの種類・濃度を選べば一発で完了できる。濃度の変更も簡単だ。これまで「スクリーントーン」を買いだめしていたというが、デジタルではそれも要らなくなる。コスト面でも大きなメリットが生まれる。

マンガ制作には欠かせないスクリーントーン

こうした背景の制作では、デジタル化を先に始めていた。ここにきていよいよその他の作業でもデジタルで行うことにした。そう踏み切る時のきっかけとなったのが、「クリップスタジオ」という作画ソフトだった。このソフトは、マンガを描く上でほぼアナログを再現できるレベルになってきているという。これまでのアナログと同じ表現ができるならばと、小山さんはデジタル化へと完全に梶を切った。

現在、小山さんが「宇宙兄弟」の制作に使っているクリップスタジオとiPad Pro

このソフトでは、Gペンで紙の上で描いた時の微妙なインクのにじみ、線のザラザラとしたディテールまで再現できるようになっているという。小山さんがこのソフトで描く時に使っているのがiPad Proとアップルペンシルだ。デジタルで描く方法はいくつかある。ペンタブレットと呼ばれるものにデジタルペンで描いて、それをパソコンの画面で映し出すというのもある。小山さんは書く場所とそれを映し出す場所が違うのには当初から違和感を持っていた。その点でiPad Proとアップルペンシルであれば、直接画面に描いていけるので紙に描くのに近い状態となる。

拡大してみるとよくわかるが、デジタルでもここまで描線に変化がつけられるという

小山さんから「ちょっと書いてみてください」とアップルペンシルを手渡された。恐る恐る書かせていただいた。驚くことに力の入れ具合に応じて筆跡に強弱が出せるのだ。軽い筆圧なら繊細な線に、グイと力を込めると力強い筆跡が生み出せた。サッとペンを走らせた時の筆跡の最後の方のかすれも多少出ていた。ただ、描いた線が表示されるまでにコンマ数秒というわずかなタイムラグを個人的には感じた。しかしながら小山さんが言われるように表現の幅はアナログに近づいていてデジタルも今やここまで来ているのかと認識を新たにした。

これまでは背景など一部をデジタルで作成し、残りをアナログ作業という「デジタルとアナログ混在」というスタイルで行ってきた。それぞれの作業では問題なかったが、最終的にそれらをまとめようとした時にデジタルとアナログがゴチャゴチャになってしまい、やりづらさがあったという。デジタルのアナログ再現精度もすっかり上がったことだし、ここで全てをデジタルでまとめてしまおうと小山さんは決断することにした。そもそもSFという世界を描いているので、デジタルで描く方が合っているのではとも思ったという。

アナログ・デジタルそれぞれに良さがある

「描いていて楽しいのは断然アナログですね。書き味はペンごとに違いますし、紙の上にペンを走らせた時の感触もダイレクトに伝わってきて楽しめます。気持ちよいのはアナログです。それに原画が生まれるという点もあります。デジタルで描いたものには原画はありません」

一方デジタルの良さとはどんなところだろうか?

「デジタルはとにかく便利なところです。複製も反転などもすぐでき、一度描いた人物の腕の位置を少しずらしたいときも描き直す必要はありません。微調整も簡単です。アナログの時は、何度も修正をくり返していると修正液で紙の表面は凸凹してしまい、描きにくさがありました。デジタルならいくらでも快適に修正できます。アナログは感覚的に楽しく、デジタルは作業的に余計なことが省かれて楽しいという面があります。楽しさの種類が違うんです」

そんな小山さんはデジタルの中にもアナログ的な喜びを見出している。 小山さんはiPad proの画面に「ペーパーライクフィルム」というものを貼っている。これはアップルペンシルで描いた時に、紙の上でペンを走らせているようなザラザラとした感触が味わえるものだ。また、アップルペンシルのペンの減りも味わっている。大量に描いていくのでペン先が摩耗していくのだそうだ。物理的に「減る」というのはアナログならではの楽しみだ。

アナログ時代の創作スタイル

ついこの間まで小山さんが行っていたアナログを中心とした創作スタイルについて、どんなペンをお使いかを詳しくお伺いしてみた。

小山さんの創作は、「プロット」からはじまる。一話分の大まかな出来事をA4の紙に言葉だけで書いていく。ここではぺんてるの「サインペン」を小山さんはよく手にしている。内容によって色分けもしている。黒は出来事やこれから起こること、オレンジはキャラクターの心情、緑は情報といった具合だ。

「宇宙兄弟」のストーリーはこのプロットから始まる

「サインペン」のいいところは、サラサラと書けるところ、そしてデザインだという。軸は程よい太さで丸みを帯びた6角軸。これが小山さんの手にとても馴染むのだそうだ。以前に8角軸のペンを使ってみたこともあったが、どうしてもしっくりこなかったという。キャップの長さがボディ全体の長さの割にたっぷりとしているところも小山さんのお気に入り。この長さがあることで片手でも簡単にキャップを開けられる。

次々に「サインペン」の良さについて小山さんの口から出てくる。色々なペンを使ってきて、本当に使いやすいものはどれだろうとずっと探していた小山さん。こんな身近にあるじゃないかと、ある時気付いたという。あまりに近くにありすぎてその良さに気付けていなかったサインペン・・・。そこでぜひぺんてるさんに作って欲しい「サインペン」があるという。それは「サインペン」スタイルのシャープペン。この太さがとてもよいので、シャープペンタイプをぜひ出して欲しいと取材中にぺんてるの方にかなり本気で要望していた。実現したら「宇宙兄弟」の中で六太に持たせる!とまで熱く話しておられた。ちなみに、このプロットの作業だけはデジタル化に踏み切った現在でも「サインペン」で手描きをしているという。

小山さんが惚れ込んでいる「サインペン」

「サインペン」で描かれる日々人(ライブドローイング!)

2つ目のステップは「ノートへのセリフの書き出し」。ここでは万年筆を使っているという。お気に入りはモンブランのマイスターシテュック146のB(太字)。とてもなめらかな書き味だという。たまにパイロットのカスタム743 フォルカンという万年筆も使うという小山さん。こちらのペン先は両側がえぐられるようにカットされていて、これによりとても柔らかさに富んでいる。モンブランの方は柔らかさというよりもスムースさがあり、この2本はある意味で両極端な書き味。気分で使い分けているという。

ひらめいたセリフはスマホにメモをしたりするが、最終的にこうしてノートにまとめられる

モンブランのマイスターシテュック146のB(太字)

3つ目のステップは「ネーム」という下描き。この作業では、特定のペンではなく、色々なペンを手にするという小山さん。趣味で買い集めたペンを試す場にしているのだそうだ。ペンをたくさん持っている方ならではの発想だ。買ったペンの活躍の場を作ってあげたいというのは私もその気持ちがよくわかる。色々なペンを使う中でもお気に入りの種類は鉛筆とシャープペンだという。

「ネーム」と呼ばれる下描き

「これが私にとってのベストの鉛筆です」と見せてくださったのが、ぺんてるの「ブラックポリマー999」の4B鉛筆。残念ながら今は廃番になっているものだ。書かせてもらうと、これがとてもなめらか。普通の鉛筆よりも筆跡がより黒い印象がある。そして4Bという柔らかい芯のわりに紙への定着度もよく筆跡をこすっても大丈夫だった。小山さんは何本かを今も大切にストックしているという。

現在は廃番となってしまった、ぺんてるの「ブラックポリマー999」

シャープペンは、すさまじい本数を所有しておられる。デスク周りのペンスタンドにもいくつも入っているのに加え、シャープペンだけのペンケースもお持ちだった。

ぺんてるのシャープペンだけでもこれだけの本数をお持ち

こちらは普段よく使っているペン

その中で小山さんが今愛用しているのが、コクヨの「鉛筆シャープ タイプM」。デスクの右側にはラバーグリップ、メタルグリップそれぞれ芯径ごとに小さく前ならえ状態でスタンバイしていた。このシャープペンに関し、小山さんから興味深いお話をお聞きした。この鉛筆シャープのラバーグリップとメタルグリップでは、筆記した時の音が微妙に違うのだという。音とは紙の上に芯先を走らせた時にする筆記音のことだ。ラバーグリップで書くと、シャーシャーという音が比較的静か。一方メタルグリップの方は少し甲高いシャーシャーという音になる。小山さんは描く時のこの筆記音が気になるのだという。音が少ない方が好みだそうだ。そこで小山さんはメタルグリップのペン先を分解して、間にゴムパッキンをはめこんでみた。すると音はすっかり静かになったという。

今、愛用しているというコクヨの「鉛筆シャープ タイプM」。
ペンスタンドにドサッと入れるのではなく、穴が開いたスタンドに収納している。
たしかにこうした方が必要な芯径をすぐに手にとれる。

描いた時のシャーシャーという筆記音はシャープペンごとに違うという

0.5mmシャープペン芯は、ぺんてる「アイン」の4Bがお気に入りだという

この他にも小山さん流カスタマイズ文具は色々とあった。これはマンガの枠線を引くための自作定規。「宇宙兄弟」では、枠線の間隔が横線の方が広く、縦線は狭い。それが簡単に引ける定規だ。こうした枠線の間隔はマンガ家自らが決めているという。

この定規は、まるでフリーハンドのような自然な線を描くためのものだ。小山さん自ら定規の先端をカッターでガタガタに削っている。「宇宙兄弟」でイタリアの町並みを描く際、古い建物の線をこれで描いたという。

4つ目のステップは「原稿を描く」作業(ただし現在はデジタルでの作業に移行)。マンガ用の原稿用紙にシャープペンなどで下描きをして、Gペンで描き入れていく。小山さんのGペンは、これまた自らカスタマイズしたものだ。一般のものは、市販の木軸の先端にペン先をさして使う。小山さんは、その木軸の握り具合が馴染めかった。そこでロットリングの「アートペン」をベースにしている。このペンはアート用の万年筆。その万年筆のペン先を引っこ抜いて、Gペンのペン先を付けている。程よい長さ、太さでしっくりとくるという。その収納方法もとてもユニーク。デスクの前方の右手の隙間にマグネットを付けて、そこにGペンのペン先をペタリとつけている。これなら必要な時にすぐ取り出せる。

ロットリング「アートペン」のペン先をGペンに付け替えている

小山さんは原稿描き用のインクとペンをひとまとめした専用スタンドも自作していた。インクボトルのキャップをすぐに開けられるようにキャップに突起をつけ、開けたキャップを立てかけておけるスペースも用意されていた。こちらもやはりペン先はマグネットで固定できるようになっている。さぁ描こうとなったら一切のムダもなくスムーズにできる工夫が凝らされていた。

原稿へのペン入れ専用ツールをまとめたスタンド(小山さんの自作)。
完成度が実に高い!

インクボトルのキャップに突起をつけているので開閉動作が実にスムーズ

アートペンのペン先をマグネットで固定。
ちょっとペンを休める時も置く場所に困らない。

「ぺんてる筆」で描かれる六太の髪の毛

現在はデジタルで描いているが、手描きの頃は六太のモジャモジャした髪の毛は「ぺんてる筆」で描かれていた。小山さんが使っているのは、顔料タイプの中字。

「この1本で太くも、細くも自在に描けるんです。特に気に入っているのは『抜きの細さ』。髪の毛から飛び出した毛先をできるだけ尖らせたいんです。『ぺんてる筆』だと理想の抜きの細さになります。髪のベタ塗りにも使えます。やっぱり髪の毛を描くには『毛』の筆ペンの方がいいんでしょうね(笑)」

「サインペン」と「ぺんてる筆」で描かれる六太(ライブドローイング!)

小山さんがペンに求める条件

マンガ制作のステップごとに明確にペンを使い分けている小山さん。ペンに求めるポイントとはどんなことなのだろうか?

4つのポイントがあるという。

  • 「シンプルさ」
    機能とは無関係な余分な装飾があまりなく、人が使うことを考えて設計されたデザイン。カッコいいデザインに見えつつ機能として成立しているもの。
  • 「使い心地」
    書き心地、描き心地、指に感じる感触、書いている時の音などが心地良いもの。筆跡が求める表現を再現してくれるもの。
  • 「頑丈さ」
    「堅牢」、「質実剛健」といった言葉が合うものは特に好みだという。
    ミリタリー用品やアウトドア用品の様に多少の雑な扱いも平気であるもの。またエイジングも楽しめるもの。
  • 「高級感」
    加工された金属をうまく使っていたり、プラスチックでもチープに感じない工夫、デザインがされているもの。

最後に今後についてお聞きしてみた。

「『宇宙兄弟』の終わりを最高にしたいですね。終わりが最高のマンガって意外と少ないと思うんです。有名なのは『あしたのジョー』が思い浮かびますね。『スラムダンク』もベストな終わり方だったと思います。今後新たに取り組んでいきたいテーマは、『宇宙兄弟』で海外の人をたくさん描いてきたので、こんどは日本人がたくさん登場するものを描いてみたいです。テーマというよりも私は人をしっかりと描きたいです。何かに取り組んでいる人、何かにはまっている人を描くと、そこにストーリーは生まれていきます。また『宇宙兄弟』では、少し先の未来の最新科学を描いてきました。時間が経過することで書いたことが現実のものになるという経験ができたのは、個人的に面白かったですね。だから次回も少し未来のことがいいかなと考えています」

土橋が注目したポイント

小山さんの筋金入りの文具愛を「宇宙兄弟」という作品を通じてお聞かせいただき、とても充実した取材だった。お持ちのペンの一本一本に対して深いこだわりをお持ちだったが、それに加えてカスタマイズがすさまじかった。カスタマイズとはその文具と使い手との距離をグッと縮めることなんだと私は考えている。小山さんのカスタマイズは、まさにご自身に引き寄せているものばかりだった。マンガを描くということに全精力勢力を傾けていくために必要なものだったのだと強く感じた。道具としての文具の正しい姿を見ることができた。

六太の髪の毛は「ぺんてる筆」で描かれている

プロフィール

名前
小山宙哉(こやまちゅうや)
生年月日
星座
てんびん座
出身
京都
影響を受けた漫画家
  • 浦沢直樹
  • 井上雄彦
  • 松本大洋
  • 小林まこと
好きなミュージシャン
  • ユニコーン
  • 真心ブラザーズ
  • カサリンチュ
好きな映画
アポロ13
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