銅版画家アーティスト・造形講師というユニークな立ち位置で、造形・美術教育の雑誌「美育文化ポケット」の編集に携わる馬場千晶先生。前編では、生きづらさを抱えながらもヤンチャな高校生たちと出会い、もっと早く彼らと向き合いたかったと感じたことが、幼児教育の現場に進むきっかけになったとうかがった。「美育文化ポケット」に登場する子どもたちのいきいきとした自然な姿は、一貫して子どもに誠実に向き合う姿勢から生まれているのではないか——。その思いをさらに知るため、後編では馬場先生ご自身の美術・造形教育に対するお考え、そして「美育文化ポケット」で伝えたいことをお聞きした。
■ 造形教育が子どもに与える力
「美育文化ポケット」の編集委員であり、銅版画家作家・造形講師の馬場千晶さん
「子どもの頃に絵を描いたり造形あそびに親しむ事で、自己肯定感、非言語表現、集中力、情緒性、創造性が育まれると言われています。中でも近年注目されているのが、『非認知能力』の向上です」
非認知能力とは、数字や言葉で表現できないもの。たとえば、我慢強さ、粘り強さ、問題解決能力、計画性といったものだという。ある先生の説によると、この能力を高めるには5歳までの間に主体的な遊びをすることがよいとされている。その代表が造形遊びなのだという。
■ 「造形遊び」という教育
この「造形遊び」という言葉は私自身聞いたことがなかった。私が子どもの頃はなかったと思う。現在は乳幼児の教育現場や小学校でも取り入れられている。乳幼児の現場での「造形遊び」は、特別な芸術活動でも、見栄えのよい作品を作るためのものでもない。思い思いに描いたり作ったりと、日々の楽しい「あそび」の一つである。一方、小学生の場合は、図画工作の教科内で定義づけられている。明確な目的があって始まる『絵や立体、工作に表す』に対し、材料や場所あるいは行為などに出会って始まるのが『造形遊び』であり、必ずしも作品として完成させることを目的としていない。
こう説明されても今ひとつわかりにくい。実際、この造形遊びで一体何を行えばいいのか分からず困っている現場が多いというのも頷ける。そうした先生方のために「美育文化ポケット」では豊富な実例を紹介している。一例を紹介すると、夏の季節に給食でトウモロコシが出た時、余った皮や根元の部分を使った造形遊びというものがある。根の所に顔を描いたり、皮を顔につけてヒゲのようにしたりと子どもたちは色々なものに見立てていく。子どもたちに素材の可能性だけを伝えて、あとは自由に何かを作ってもらう。きっと子ども自身も最終的にどうなっていくかも分からない中で取り組んでいるのだろう。

19号P19より以下3枚とも


毎号、こうしたユニークなテーマのカリキュラムが「美育文化ポケット」では紹介されている。
■ 馬場先生の“教えない”というスタイル
子どもに教える時に気をつけていることをお聞きしたら意外な答えが返ってきた。
「教えない」ということだった。
こうして、ああしてと教えすぎると予定通りのものが出来てしまうからなのだろう。もちろん道具の使い方は伝える。あとは自由にのびのびやってもらうのだそうだ。はじめに「導入」という道具と素材の可能性を説明をしていく。馬場先生は、その時に楽しそうに話すことを心がけている。また、子どもだからと考えず、しっかりと向きあい接している。色紙を子どもたちに選んでもらう時も「人生は選択の連続なんだよ~」と話をすることもある。それを聞いて子どもたちはキョトンとしながらも色紙を真剣に選んでいくのだそうだ。

また、子どもの様子を見つつタイミングのよいところで声をかけていくことも忘れない。自らもアーティストとして作品を作っている馬場先生。子どもたちに対し常に自分と同じアーティストとして接している。だから、この子は今ちょっと悩んでいるなということもわかるのだそうだ。
よく美術は他の分野に比べ、答えがないと言われる。しかし馬場先生は答えがないのではなく、それぞれの答えがあると考えている。良し悪しや上手い下手などなく、一人ひとりのエネルギーを感じるもの、その子にしか描けないものがあると馬場先生は捉えている。だから、自分だけの表現の道具を手に入れて欲しいとの想いで日々子どもたちと接しているという。
馬場先生が関わっている現場では、子どもたちにホチキスを使った造形遊びも行っている。子ども、しかも幼児にホチキスはちょっと危ないのではと思う方も多いかも知れない。
「まずはホチキスのコツを教えます。大人はガシャンと1回ですぐできますが、子どもたちは力が少し足りないので、カシャ、カシャンと2回音がするとうまくいくのです。あとはテコの原理なので、ホチキスの先を両手で持つことなどを伝えて(わかりやすいように押すところにシールを貼っている)。それらを楽しく丁寧に伝えます。やってはいけないことももちろん言いますが、みんなやる気満々で真剣なので、絶対にふざけたりしません。子どもたちはすべてをちゃんと理解し、最初はうまくいかなくても楽しく根気よく挑戦し、しばらくしたらみんな使えるようになっていきます」
ホチキスの良さは簡単に立体が作れることだという。糊だとつくまでに時間がかかりテープは扱いが難しい。ある日のホチキスを使った遊びでは、一枚の紙が袋になるという導入をしていったという。バッグを作るという活動はみんなとても喜んで興奮し、自分で作った袋を造形遊びで使う道具入れとして、その後もずっと使うほどお気に入りにしていた女の子もいた。さすがに紙なので破れてしまうこともあった。紙が破れるというのも子どもにとってはひとつの大切な実体験となっていると馬場先生は話す。

自分で作った紙の袋を大切に使い続ける女の子
■ 造形教育の中のデジタル化の波
学校の教育現場ではタブレットなども導入されはじめていると聞く。図工・造形教育ではどうなのだろうか。小学校ではデジタルカメラで好きなところを撮影して、それをコマ撮りのように映したりといったことが行われている。
馬場先生が教えている造形教室では、プログラミングを習い始める小学生が結構いるそうだ。子どもがデジタルで自分の世界を作れることに魅力を感じるのは大いに良いことだと、馬場先生は言う。造形というものがひとつのきっかけとなってその子の興味が広がっていくことが何より大切だという。
■ 自分らしさを見つけて欲しい

ちょっと前に自分の造形講師としての原点を再認識させられた出来事があったという。
もう、10年くらい前のことになるが、馬場先生が造形講師をしていた保育園にみどりちゃんというお子さんがいた。なぜかいつもガッカリしているように見える女の子だった。4人兄妹の2番目に生まれたみどりちゃん。お兄ちゃんと妹たちに挟まれて、子どもながらに様々な思いを抱え、色々と大変なことがあったのだろう。でも根は明るく優しく素直な子だった。そんなある日、頭をうなだれて、いつも以上にがっかりしている日があった。そこで訳を聞いてみると「なかったよ……」と一言。
聞けば、(馬場)ちあき先生の家がなかったという。
そういえば以前、みどりちゃんに「どこに住んでいるのか」と聞かれた際、保育園まで通勤1時間半かかる馬場先生は「すっごく遠くに住んでいる」と答えたことがあった。
それからしばらく経った昨日、みどりちゃんはママの用事で「1丁目」に行く。そこは「7丁目」に住んでいるみどりちゃんにとっては「すっごく遠く」だった(と感じた)らしい。そこで「ちあき先生のおうちはすっごく遠くにある」ということをふと思い出し、一生懸命に家を探したけれど、見つからなかった。それで、いつにも増してがっかりしていたのだった。
その話を聞いた馬場先生は、説明しても分からないだろうと決めつけて適当に答えていた自分に気づいた。一生懸命探してくれたのに悪いことをしたと反省した。以来、自分の家を聞かれたら、「東京から東海道新幹線に乗ったら、次の駅は新横浜なの知ってる? 先生の家はそこから乗り換えてね……」というように子どもたちが興味を持つような言い方で、さらに具体的に詳細に説明するようにしている。
それから月日が流れ、みどりちゃんが高校2年生になった時、その保育園が閉園するという行事で再会を果たす。久しぶりに会ってみると、当時とは打って変わってみどりちゃんは全然ガッカリしていなかった。キラキラと楽しそうな女子高生に成長していた。保育園時代のみどりちゃんのガッカリエピソードを馬場先生は思い出話として本人に話して聞かせた。
すると、みどりちゃんは大笑いしながらも、ふと「なんだか、私っぽい」と言った。
きっと、幼い頃のみどりちゃんは色々なことを過度に期待してはガッカリばかりしていたのだろう。そんなガッカリエピソードを今は笑って話せるようになっていた。自分らしさを見つけ、それを自分らしいと言えるようになったのだ。
それを目の当たりにして、馬場先生は私はこういう風に子どもたちになって欲しくて造形を教えているのだと強く思ったという。誰か人に求められるものではない。本当の自分らしさを見つけ、それを好きになって欲しいと。絵の上手い下手ではなく自分らしく表現しながら生きて欲しい。自分の造形教育の原点に立ち返ることができたと、うれしそうに馬場先生は話してくださった。
土橋が注目したポイント造形講師として子どもに教える時、子どもを一人のアーティストとして対等な目線で接しているのはすばらしいと思った。そして、造形教育というものは私にとってちょっと靄がかかったような分野で、本当の目的みたいながものが分かりづらいものだった。最後のみどりちゃんのエピソードをお聞きして、「自分らしさを知り、それを好きになる」という言葉でその靄がすっかり晴れ渡ったような想いに至ることが出来た。自分らしく生きる、これは大人の私たちにとっても大切なキーワードであると思う。

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- 馬場千晶(ばばちあき)
- 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。銅版画作家。大学卒業後、靴のデザイナー、高校の美術教師を経て幼稚園の造形教室スタッフとなる。以後、都内数カ所の幼稚園・保育園の造形講師や、鶴見大学短期大学部、白梅学園大学、和洋女子大学、日本社会事業大学等で非常勤講師をつとめている。主な著書『保育園・幼稚園の造形あそび』(成美堂出版)、『美術教育ハンドブック』(三元社)など。
